top of page
検索

懲戒か、体罰か?

  • ookoo-ro
  • 2024年7月26日
  • 読了時間: 2分

 教師を対象とした研修会の講師を依頼されることがある。ときおり「教育的指導と体罰の法律上の区別基準は何ですか。」と質問される。

 学校教育法という法律の11条に「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、・・・児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と定められているので、「懲戒」は許されるが、「体罰」は絶対に禁止されるのは明らかだ。

 問題は、法律に「体罰」とは何か、その定義が書かれていないことである。

 大学に入学して法学部の授業を受けたとき、まず衝撃だったのは、自然科学と違い、法学を含む社会科学では、そもそも定義が定められていなかったり、区別の基準が曖昧なものが多く存在することだった。

 例えば、自然科学では、ある液体がアルカリ性か酸性かは、リトマス試験紙に染み込ませて色の変化を見れば、一目瞭然である。

 しかし、社会科学である法学では、法律で「体罰」は禁止だと定めておきながら、では「体罰」とは何か、懲戒とどのように区別するのかについて、法律に何も書かれていない。

 法学では、このような場合「区別の基準は、法の解釈に委ねられている。」という表現をする。誤解を恐れずにいうと、「答えは風の中」というようなものだ。

 要するに、体罰か否かについて、リトマス試験紙のような誰が見ても一目瞭然というような基準(物差し)は、存在しない。

 明確な物差しもないのに、ある教員の行為は体罰だとして非難され、ときに処分まで受けるが、別の教員の行為は懲戒と判断され、何のおとがめも受けないというのだから、教員の立場からすれば、たまったものではない。

 こんな曖昧な世界を「法学」と名付け、「社会科学」の一分野であるとされていることに強い違和感を感じたのが大学1年の時であった。

 しかし、その後、法学を学ぶうちに、法律の世界では、一目瞭然に結果が分かるような明確な基準を予め定めることができない事柄があることや、余りに明確な基準を定めてしまうとかえって融通が利かなくなって、社会生活が上手く機能しないことや正義に反する結果となることもあるのだと、自然科学とは違う社会科学の存在意義を少しずつ理解できるようになった。


 


 
 

最新記事

すべて表示
「モームリ」の摘発

退職代行サービスの提供で近年急成長を続けていた会社に強制捜査のメスが入った。 (1)弁護士の資格がないのに報酬を得る目的で法律事務を取扱う(報酬をもらって、労働者に代わって退職の手続きをする中で、使用者と残業代などの請求をして交渉するなど)行為と(2)報酬を得る目的で、弁護士に法律的な事務を紹介する行為を行った疑いが持たれているようだ。 これらの行為は非弁行為といわれており、2年以下の拘禁刑または

 
 
英語が話せたら

1泊2日で大阪万博、大阪城、太陽の塔で有名な万博公園を回った。 宿泊先のホテルを含め、とにかく外国人の割合が多かった。 ホテルの大浴場でサウナを堪能し、脱衣場で服を着ていると、30代とおぼしき白人男性が入ってきて、キョロキョロ辺りを見回していた。 その外国人が...

 
 
DNA型鑑定不正問題とNシステム

佐賀県警の科学捜査研究所の職員がDNA型鑑定に関して過去7年間で130件もの不正を行なっていたことが報道された。 DNA型鑑定の結果を有罪判決の決定的な理由とした判決は山ほどある。裁判官はDNA型鑑定の結果に絶大な信用を置いているのだ。 ...

 
 
bottom of page