教師を対象とした研修会の講師を依頼されることがある。ときおり「教育的指導と体罰の法律上の区別基準は何ですか。」と質問される。
学校教育法という法律の11条に「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、・・・児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と定められているので、「懲戒」は許されるが、「体罰」は絶対に禁止されるのは明らかだ。
問題は、法律に「体罰」とは何か、その定義が書かれていないことである。
大学に入学して法学部の授業を受けたとき、まず衝撃だったのは、自然科学と違い、法学を含む社会科学では、そもそも定義が定められていなかったり、区別の基準が曖昧なものが多く存在することだった。
例えば、自然科学では、ある液体がアルカリ性か酸性かは、リトマス試験紙に染み込ませて色の変化を見れば、一目瞭然である。
しかし、社会科学である法学では、法律で「体罰」は禁止だと定めておきながら、では「体罰」とは何か、懲戒とどのように区別するのかについて、法律に何も書かれていない。
法学では、このような場合「区別の基準は、法の解釈に委ねられている。」という表現をする。誤解を恐れずにいうと、「答えは風の中」というようなものだ。
要するに、体罰か否かについて、リトマス試験紙のような誰が見ても一目瞭然というような基準(物差し)は、存在しない。
明確な物差しもないのに、ある教員の行為は体罰だとして非難され、ときに処分まで受けるが、別の教員の行為は懲戒と判断され、何のおとがめも受けないというのだから、教員の立場からすれば、たまったものではない。
こんな曖昧な世界を「法学」と名付け、「社会科学」の一分野であるとされていることに強い違和感を感じたのが大学1年の時であった。
しかし、その後、法学を学ぶうちに、法律の世界では、一目瞭然に結果が分かるような明確な基準を予め定めることができない事柄があることや、余りに明確な基準を定めてしまうとかえって融通が利かなくなって、社会生活が上手く機能しないことや正義に反する結果となることもあるのだと、自然科学とは違う社会科学の存在意義を少しずつ理解できるようになった。